石坂まさをさん 藤圭子の生みの親は作詞とプロデューサーの“二刀流”(夕刊フジ)

【昭和歌謡の職人たち 伝説のヒットメーカー烈伝】

 あの藤圭子の生みの親であり、「新宿の女」「女のブルース」「圭子の夢は夜ひらく」の作詞家である。北海道から上京した藤と新宿で出会い、彼女を大スターにするため事務所まで立ち上げた人だ。

 石坂さんに初めて会ったのは1987年ごろ、青山にある制作プロダクションだった。先に来ていた石坂さんはソファに座っていた。寝ぐせのついた髪の毛と眠そうな眼だった。2人とも特に用があってではなかった。

 あいさつをすると、初対面の僕にいきなり「僕はね、高校を7つ受けて全部落っこちて15、16、17と人生暗かったのよ」と「圭子の夢は夜ひらく」の歌詞そのままに話された。

 藤圭子の売り出しのストーリーを作り、宣伝した話など、作詞家の領域を超えており面白かった。結局その日は会社に戻らず、近くの居酒屋で盛り上がった。いずれにせよ話があっちこっちに飛びまくり、一夜にして10年の知己のようだった。

 数日後には、埼玉の自宅を訪ねることに。部屋中に賞状が飾られていた。奥様はお茶を運び、あいさつされると、言葉もなく静かにその場を去った。他人行儀に思えたので、「失礼ですが、奥様ですよね」なんて言ってしまった。すると「奥さんですよ。僕とつきあっていた女性が、いきなり手首を切ってしまい、どうしていいかわからなくて、奥さんに電話してから、ああなのよ」。とんでもない話だった。それからしばらくして、公衆電話で「今、すぐそばにいます。家に行っていいか」と言われて驚いたが申し訳ないので家に呼んだ。

 当時、古い一軒家の借家住まいで、2階の自分の部屋にあげた。アルミがさの裸電球をみて、「いや、いいね」。本棚を見ながら、「うん、やっぱり、君は何かを書こうとしている」なんて言われて、今度、雑誌社を紹介するからと言われた。

 そして、自分が尊敬している作詞家の山上路夫さんからもらったモンブランの太字の万年筆をその場でプレゼントされた。ひらめき行動に面食らってしまう。

 その頃、石坂さんは全国市町村の歌を作っていた。一度いっしょに行こうと誘われ、石坂さん自らが地方の市長、村長に直接交渉する姿を見たこともある。その話しぶりは論理的で数字を多用し、説得力があることに驚いたものだ。

 作詞、プロデューサーの“二刀流”だった。

 ■石坂まさを(いしざか・まさを) 1941年5月18日~2013年3月9日、享年71。藤圭子のプロデュースに限らず、五木ひろし、小林旭から郷ひろみ、酒井法子まで幅広く作品を提供している。

2ちゃんねるって勝手に好きな事を書かれるからね。

わたしが気になっているのはコレ・・・

でも、口コミだと【サポートもしっかりしている】とか、
わざわざ【返金保証】とかもあるようだし・・・

これは試してみる価値ありかなあ。

効果が本当なら
スゴイと素直に思うし、試してみたい気もするんだよね

スポンサーリンク
AD



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
AD